京都の代表的なお祭りに「時代祭り」がございます。時代祭は、京都府京都市の平安神宮の祭りです。神宮創建を祝って始められたものです。初夏5月の上賀茂神社と下鴨神社の葵祭や盛夏7月の八坂神社の祇園祭とならび、秋10月に平安神宮で行なわれる時代祭りは京都三大祭りの一つに数えられています。京都の代表的な三つお祭りの中ではもっとも歴史が浅く、その始まりは明治時代でした。明治28年、遷都1100年に沸く京都で「第四回内国勧業博覧会」が開催され、パビリオンとして平安宮大極殿の5分の3の模型を建てました。その素晴らしさが評判となり、博覧会終了後も『残してほしい』という保存運動が起きました。そこで、大極殿の模型のをそのまま神社として残すことになり『平安神宮』が平安神宮が創建されました。神宮の管理と保存のための市民組織として平安講社が作られました。
神社が誕生しますと祭礼が必要となります。平安神宮が創建の記念事業として多くの市民が、この新しい神社のための祭発足に参加し「祭り」が始められました。祭りを盛大にするため、東京奠都以前の京都の風俗を遡る一大時代仮装行列が考案され「時代祭り」と呼ばれるようになりました。古くから都であった京都では、古時代の衣装も多く残っておりましたので、短期間で各時代の装束を揃えられました。遷都1100年にちみ、桓武天皇が長岡京から遷都したと伝えられる10月22日を祭礼日に決めました。平安遷都は794年なので、正確には明治28年は遷都1101年でした。
京都のお祭り「時代祭り」の祭礼の行列は、平安時代から明治維新までの装束に扮するものと決められ、当初、6行列が古い時代から順に巡行しました。大正時代に入ると『明治維新から平安時代へと時を遡ってパレード』するという、当時では、人々を驚かせる発想の転換を経て、現在では18行列がパレードしています。2000人の市民が、各時代の装束に扮し、道中4.5kmをパレードする時代祭は、その先頭から最後尾まで2kmにわたる長大なものです。この神幸列は京都御苑を出て、烏丸丸太町〜烏丸御池と南に進み、河原町御池〜河原町三条〜京阪三条〜三条神宮道と西に進み、最後に神宮道〜平安神宮へ向います。
京都の山「大枝山」は、京都市西京区と亀岡市の境に位置する標高は480m野山です。大江山、大井山とも呼ばれています。「大枝山」の名称がこの山の北側山腹にある標高230mの老ノ坂峠を指す場合がございます。大枝山の峠は、昔は「大江坂」と呼ばれていましたが、変化して老ノ坂峠と呼ばれるようになりました。大枝山の峠は、昔は「大江坂(おおえのさか)」と呼ばれ、それが変化して老の坂(老ノ坂峠)と呼ばれるようになった。平安京から山陰道を下る時、山城国と丹波国の国境にある大江坂の大江関(おおえのせき)を必ず越え、京と別れを告げることになった事から、古くから歌枕の地として知られています。平安遷都以前にも淀川経由で平城京に向かう場合の経路とされます。
京都の山「大江山」は酒呑童子伝説で知られる山です。京都の山「大江山」は雲海の名所としても知られています。大江山の鬼退治伝説は3つございます。一つは、崇神天皇の弟の日子坐王(彦坐王)が土蜘蛛陸耳御笠を退治したという『古事記』に記された話です。二つめは聖徳太子の弟の麻呂子親王(当麻皇子)が英胡、軽足、土熊を討ったという伝説です。三つめが最もよく知られいる有名な酒呑童子伝説で、源頼光と頼光四天王が活躍した酒呑童子伝説です。
下京区新花屋町通堀川には源氏物語に関する展示を行なっている私立の博物館がございます。この博物館が京都の見所と言える理由は、書物や絵巻物という平面でしか味わえなかった源氏物語が立体となり、光源氏や紫上などの登場人物の人形や当時をかたどった建物の模型の中に配置され、源氏物語一場面を構成して展示され、来館者は源氏物語の世界を体感できる博物館だからです。時代考証により丁寧に再現された寝殿や装束や調度品を配置して千年の都京都にふさわしい華やかな源氏物語の世界を満喫できる博物館です。
展示にある六條院は、政治家としての権力と地歩を固めた光源氏が三十四歳の秋に着工し、三十五歳の八月に落成した大邸宅です。
京都のお祭り「祇園祭」は、上賀茂神社・下鴨神社の葵祭、平安神宮の時代祭と並び京都三大祭りの一つです。また大阪の天神祭、東京の山王祭(あるいは神田祭)と並んで日本三大祭りの一つに数えられるほど日本を代表する有名なお祭りです。今ではこの京都のお祭りは「八坂神社」の「祇園祭」として知られています。しかし明治維新までは「祇園社」の「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」、略して「祇園会(ぎおんえ)」と呼ばれていました。
祇園社は、877年藤原基経が自邸を寄進し建立されたことに因む呼び名で、正式名称は感神院祇園社といいます。「祇園」は、「平安物語」の冒頭にも出てくる「祇園精舎」に由来します。むかしインドで須立長者という人が、太子より賜った樹林を惜し気もなく寄進し建立された寺が祇園精舎という名前だったと言い伝えられています。藤原基経が自邸を寄進したことがこの故事と似ているため「祇園社」と命名されました。インドの祇園精舎の守護神は牛頭天王(天神)だったので、平安京の祇園社でも牛頭天王を祀りました。
京都のお祭り「葵祭」は、葵祭は京都三大祭のひとつで、日本の祭のうち最も優雅で古趣に富んだ祭のひとつとして知られています。平安朝の優雅な古典行列は平安貴族そのままの姿で列をつくり、京都御所を出発した風雅な行列が下鴨神社を経て、上賀茂神社へ向かいます。葵祭は賀茂御祖神社と賀茂別雷神社の例祭で、5月15日に行わます。古くは賀茂祭、または北の祭りとも言われていました。平安中期の貴族の間では、単に「祭り」と言えば葵祭のことをさすほど有名だったそうです。